皆さん、こんにちは。
筆者のキョン(@kyon2021f)です。
今回は花ちゃん出演映画「法廷遊戯」について紹介したいと思います。
主演は「れんれん」こと、永瀬廉さん。(花ちゃんがそう呼んでいるらしい)
2023年春に制作・公開が発表され、公開まで約8ヶ月の期間がありました。
原作は第62回メフィスト賞を受賞している本格ミステリー。
過去の闇を抱えるセイギと美鈴を狙う誰かの存在が不気味な、そんな作品。
筆者は原作を読んだうえで作品を鑑賞しました。
以下、ネタバレ注意。
作品情報
公開日
2023年11月10日
監督
深川栄洋
原作
五十嵐律人『法廷遊戯』
脚本
松田沙也
出演者
永瀬廉、杉咲花、北村匠海 他
あらすじ
弁護士を目指してロースクールに通うセイギこと久我清義(きよよし)と、同じ学校で法律を学ぶ幼なじみの織本美鈴、2人の同級生でロースクールの学生たちが行う「無辜(むこ)ゲーム」と呼ばれる模擬裁判を司る天才・結城馨は、共に勉強漬けの毎日を送っていた。無事に司法試験に合格し、弁護士となった清義のもとに、ある時、馨から無辜ゲームをやろうという誘いがくる。しかし、呼び出された場所へ行くとそこには血の付いたナイフをもった美鈴と、すでに息絶えた馨の姿があった。この事件をきっかけに、3人をめぐる過去と真実が浮かびあがっていき、事態は二転三転していく。
引用:映画.com
3人の個性
真面目そうで口数もそれほど多くないセイギこと、清義。
どこかはかなげで陰の部分をもつ、美鈴。
優秀、無辜ゲームを取り仕切る、馨。
本作のなかでそれぞれ重要な役を果たす3人ですが、映画のなかでもとてもうまく表現されています。
洞窟のなかでおこなわれる無辜ゲームは不気味ではありますが、その中央に堂々と君臨する馨は貫禄そのもの。
そして、そのゲームに参加することになったセイギの推理の巧みさ、美鈴のセイギへの忠誠心。
冒頭のいくつかのシーンだけで見ている人がその関係性をしっかり把握できる構成。
セイギから美鈴への絶対的な信頼感は、ただそこに仲の良い男女がいるということを超越した「ただならぬもの」を感じました。
そして、殺人犯として疑われることになる美鈴もストーリーのなかで、静から動への感情の移り変わりが手に取るように伝わってきたのが印象的でした。
作中で無辜ゲームが開催されたころまでは「静」、そのあと誰かが自分の存在に対して幾多の働きかけをしてくるころからは「動」。
その後、二人の過去が明かされていく展開はわかりやすく、良かったと思います。
肝心の無辜ゲームは洞窟で開催されていましたがこれも不気味さを演出していて良かった。
そもそもセイギ・美鈴・馨という登場人物が何者なのかも明かされることなく、無辜ゲームに突入する展開は見ていて引き込まれましたし、結局誰が本当のことを言っているのだろうと、見ている側も惑わされる感じがありました。
花ちゃんの怪演
とりわけ接見室の「うわぁー」ですね。(笑)
冗談さておき、美鈴の「静」と「動」が巧みに表現されていて、その「動」のなかでもさらに「動」というか、かなり振り切れています。
美鈴が感情を放出する瞬間はセイギが絡んでいるときしかなく、その出力が最大になったのが接見室のシーン。
今のままではよくないと思ったセイギ、今のままでいたいと思った美鈴。
対照的ではありますが、お互いのことを想う気持ちは同じです。
美鈴が独房のなかで横たわっているシーンでは、過去のモノクロ世界のなかでセイギが優しく声を掛けていましたね。
美鈴の世界を彩ったのはセイギにほかならず、モノクロ世界から解放してくれたのもセイギ。
そうした関係性は馨の死をもって終わりを迎える。
人生の中での一つの区切りとして馨の死があり、セイギの眼差しは前向きささえ読み取れましたが、一方で美鈴はどうだったのか。
生きる意味、生きる希望。
「大人が人生を狂わしたのにやり直せると言うことはおかしい」という美鈴のセリフがすごく胸に刺さりました。
セイギが自分のことを想って決めたくれたことなら・・・と思える日が来るのでしょうか。
冤罪とは何か、無罪とは何か、正義とは何か
作品全体を通じて考えさせられる作品です。
馨は冤罪および無罪について、「冤罪は神様だけが知る」「無罪は検察が罪を証明できなかった」と定義付けています。
いずれも非常に興味深い視点で、それは彼の父親の事件に起因する考え方だったと後からわかります。
結局は罪(もしくは罪とされるもの)に対して、誰がどのように向き合うかという問題。
それは時として自分の立場を守るために作用し、社会的に弱者だと思われる者をおとしめる。
検察が過去のあやまちを認めないこと。
本人が罪を犯したと自白しないこと。
作品を通じて本当の正義とは何かについて考えさせられました。
嘘を嘘で塗り固め、元の場所にはもう戻ることができず、また嘘(罪)を重ねる。
まさにそこに立っていたセイギと美鈴。
それを裁くこと、そして救うことができるのは馨しかいなかったのかもしれません。
セイギと馨が話しながら学校の階段を上るシーンは、法律に関わる二人の優秀な学生が未来にむかって共に進んでいるかのよう。
視点を変えると少し前向きになれるような、そんなラストシーンでした。
冤罪について
現在の日本の司法制度はしっかりと整備され、犯罪の検挙率や、有罪率も高い水準を保っています。
一方で、無実の人が罪に問われる冤罪事件も発生しています。
仮に無実と判断されても、インターネット上などで社会的なバッシングにさらされ続けるおそれがあります。
冤罪の証明は困難
日本での起訴後の有罪率は99.9%といわれています。
そのため、冤罪であるとして無罪を獲得するケースは稀です。
ただ、冤罪であることが再審で判明した事件もあります。
引用:ベンナビHP
ドラマ「99.9」でもあったように、日本では起訴されるとほぼ確実に有罪に。
人間が人間を裁くことの難しさを感じます。
原作を読んで
原作では、無辜ゲームがかなりクローズアップされており、そのゲームそのものが「法廷遊戯」というタイトルに繋がっています。
映画のなかでもその不気味さは演出されていましたが、その異常な熱狂ぶりは描かれていませんでした。
数々の証拠などから罪を立証するというプロセス=模擬裁判に熱狂し、犯人に罪を負わせる。
これが詳細に描かれているのが原作であり、そのなかでの馨の立ち振る舞いはクラスメイトを超越した存在であることをかなり鮮明に感じました。
映画ではどちらかと言うと、セイギ・美鈴の過去に対して馨がどう関わっていくかという点に終始しており、シンプルでわかりやすかったものの、「法廷遊戯」の不気味さの演出はやや物足りなかったという印象です。
あとは時間的な制約もあったと思いますが、セイギや美鈴に迫ってきている人物が何者なのか、最終的には馨と判明するわけですが、そこに至るまでのプロセスがわりと簡素だったように感じました。
いろいろと書きましたが、それだけ深い作品なので、映画で興味を持った方は原作を読むことをおすすめします。
まとめ
それぞれのキャラクターの視点で見ると、また違った作品の印象があるかもしれません。
それぐらい個性が際立っていることと、秀逸な設定が光ります。
原作を読んでいない方もシンプルに作品に没頭できると思いますのでおすすめです。
花ちゃんの「静」から「動」への演技も必見。
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