皆さん、こんにちは。
筆者のキョン(@kyon2021f)です。
今回は花ちゃんの主演映画「市子」について紹介したいと思います。
意外にも映画では単独初主演。
2023年夏に制作・公開が発表されましたが、撮影は2022年夏におこなったそうです。
原作は戸田監督が脚本を書いた舞台「川辺市子のために」。
舞台でやっていたものを映画化するということで戸田監督も並々ならぬ思いがあり、タイトルも「市子」に。
以下、ネタバレ注意。
作品情報
公開日
2023年12月8日
監督・原作
戸田彬弘
脚本
上村奈帆、戸田彬弘
出演者
杉咲花、若葉竜也 他
あらすじ
川辺市子は3年間一緒に暮らしてきた恋人・長谷川義則からプロポーズを受けるが、その翌日にこつ然と姿を消してしまう。途方に暮れる長谷川の前に、市子を捜しているという刑事・後藤が現れ、彼女について信じがたい話を告げる。市子の行方を追う長谷川は、昔の友人や幼なじみ、高校時代の同級生など彼女と関わりのあった人々から話を聞くうちに、かつて市子が違う名前を名乗っていたことを知る。やがて長谷川は部屋の中で1枚の写真を発見し、その裏に書かれていた住所を訪れるが……。
引用:映画.com
市子とは
自分のことを話さず過去も明かさない。
確かにそこに「市子」という存在はあったものの、だれもその「実像」はわからない。
そんな存在です。
物語は過去にかかわった人からの証言という形で進行しますが、その関わり方や深度も人によって違うため、市子という存在が一体どういう存在だったのか、ということはイマイチつかみどころがありません。
名前が変わった?年齢が違った?大阪出身?
小学生の男子に突然キスをしたり、御礼に万引きした玩具を渡そうとしたり、その特異な行動は幼少期からあったわけですが、人生のなかで市子と女性、市子と男性では市子の行動に対する感じ方も異なることが印象的。
幼少期に関わった女の子の知人たち(あえて友人としない)は、市子の言動に対して気味の悪さを感じています。
仲良くなったと思ったら「私の名前は市子やねん」といきなり言われたら戸惑いますよね。(学校では月子と名乗っている)
一方で、高校では宗介と北を魅了し、好意を抱かせるまでの関係性になったわけです。
そしてその先に出会った長谷川には「結婚しよう」とまで言ってもらえている。
市子のすべての行動が「生き抜くため」だったとしても、異性を惹きつける「何か」は備わっていたのだと思います。
母親の再婚相手から「悪魔やな」、北からも同様に言われたように男性を魅了する悪魔的な力が市子にあった。
それは意識せずとも備わっていたことで、水商売をする母親ゆずりだったのかもしれない。
ここは作品のなかでは詳しく描かれていないものの、高校生のときに男子にモテたのは年齢的なこともあったのではないかと思います。(市子の実際の年齢は同級生より2歳年上でお姉さんだった)
大人びていて妙に余裕がある感じはアイスを食べる市子からも感じられましたし、そこではリラックスして素を見せているようにも思えました。
女性には好かれないけれど、近寄ってくる男性はいるということが市子という人物を語る上では重要な要素だった。
いずれにせよ、市子とは何者なのかは関わった人たちも断片的にしかわからず、本当の市子は誰も知らなかった、知りえなかったと感じました。
戸籍を持たないこと
長谷川と過ごした日々は市子にとって幸せな時間だったことは間違いありません。
それは自分が一人の人間として認められた瞬間の連続だったはずですし、そのゴールとしてプロポーズがあった。
今まで嘘を積み重ねてきた市子も、幸せと言って涙を流したことに嘘はなく、一人の人間として向き合おうと思えたのではないでしょうか。
ただそこに生駒山で死体が発見されたニュースが流れてきて、また元の市子に戻ってしまった(現実に引き戻された)。
そしてその現実とは、市子が一人の人間として公的に認められていない=戸籍がないということに他ならない。
「生き抜くため」の選択として、市子はプロポーズ翌日に失踪することになりました。
ここでふと感じる「誰にでも幸せになる権利はある」ということ。
辛い過去を背負っているのだから市子にも幸せになってほしいという視点は当然ながらあるものと思います。
市子の過去を知っていく中で筆者もそう思う側面もありました。
ただ、「誰にもでも幸せになる権利はある」を逆説的にとらえると、たとえば市子に殺された妹の月子はどうか。
筋ジストロフィーという難病を背負いながら、夏の暑い日も懸命に生きようと呼吸があり、そこには命があった。
そう思うと、私たちが目撃した市子の過去は、市子だけのことを考えれば確かに幸せになってほしかったかもしれないが、そこに巻き込まれた(そう捉えるのであればだが)人たちの幸せはどこにいってしまったのか、と思います。
すべては戸籍を持たないこと=結婚できないことからさかのぼる中でわかったことですが、誰かにとっての幸せは他の人にとっては幸せではないこともあり、そこを深く考えさせられる内容でした。
恥ずかしながら無戸籍問題を知らなかったので、本作を通じて考えさせられたので参考にしたページを引用します。
無戸籍とは
婚姻中又は離婚後300日以内に生まれた子は,原則として,夫又は元夫の子(嫡出子)と推定されますので,仮に他の男性との間に生まれた子であっても出生届を提出すると,夫又は元夫の子として戸籍に入籍することになります。他の男性を父とする出生届を提出しても原則として受理されません。他の男性を父とする子の戸籍をつくりたい,夫又は元夫に子の存在を知られたくないなど,何らかの理由から出生届を提出しないとき,子は「無戸籍」の状態になります。
引用:裁判所HP「無戸籍の方に関する手続」
現在では、戸籍取得に向けての手続きも増加傾向にあるそうですが、いまだ社会問題としては残存しているようです。
市子はこの問題のみならず、殺人という過去を背負ったことで戸籍取得に向けた動きはとれなかったということですね。(作中で戸籍の相談に行ったが指紋を取られることを拒否したという描写あり)
ヤングケアラー
市子はヤングケラーであり、虐待の被害者でもあります。
どちらも大きな社会問題になっていますが、ヤングケラーに関してはここ数年でよく聞くようになりましたね。
ヤングケアラーとは
本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこどものこと。
責任や負担の重さにより、学業や友人関係などに影響が出てしまうことがあります。
ヤングケアラーはどれぐらいいるのですか?
令和2年度に中学2年生・高校2年生を、 令和3年度に小学6年生・大学3年生を、それぞれ対象にした厚生労働省の調査では、世話をしている家族が「いる」と回答したのは小学6年生で6.5%、中学2年生で5.7%、高校2年生で4.1%、大学3年生で6.2%でした。これは、回答した中学2年生の約17人に1人が世話をしている家族が「いる」と回答したことになります。
引用:こども家庭庁HP
市子の家庭は母親が水商売で不規則な生活、ソーシャルワーカーだった父親(母親の再婚相手)も昼からお酒を飲んでおり、妹・月子の世話は市子が中心となっておこなっていたと推測されます。
作中でも描写がある月子を死に至らしめるシーンでは、夏の暑いなか月子の汗を拭き、呼吸器をセットするなど世話をしていることが描かれています。
まさにヤングケアラーであり、月子の人生をその小さな背中で背負っていると言っても過言ではない状況。
そうした状況にありながらも、継父からも虐待を受けており、市子が歩んできた人生がいかに過酷であったかを知らされました。
にじ
物語の冒頭部分の市子の鼻歌。(長谷川や北から解放された)
月子が死んだときの母親の鼻歌。(月子の介護から解放された)
どこか切ないメロディと前向きな歌詞が印象的な曲です。
明日の天気を願う歌詞ですが、「市子」の中では市子が何かから解放されたときに流れてきます。
それはきっと今ある暗闇から抜け出せるという、市子や市子の母親にとっては希望の歌だったのでしょう。
そして市子は空が好きです。
みんなが空を見ていれば何も気にしなくていいからと。
あらためて歌詞を見ると、本当に素敵な歌詞。
映画のシーンとのアンマッチさが「市子」という作品の受け取り方の多様さに繋がっていると感じます。
にじ
作詞:新沢としひこ/作曲:中川ひろたか
にわのシャベルが いちにちぬれて
あめがあがって くしゃみをひとつ
くもがながれて ひかりがさして
みあげてみれば
ラララ
※にじがにじが そらにかかって
きみのきみの きぶんもはれて
きっとあしたはいいてんき
きっとあしたはいいてんき
せんたくものが いちにちぬれて
かぜにふかれて くしゃみをひとつ
くもがながれて ひかりがさして
みあげてみれば
ラララ
※
あのこのえんそく いちにちのびて
なみだかわいて くしゃみをひとつ
くもがながれて ひかりがさして
みあげてみれば
ラララ
※
月子が死んだときに母親が市子にむかって「ありがとう」と言った衝撃は忘れられません。
そして、にじがながれ苦しい状況から解放されたとき、そこにはすべて殺人(疑惑)がありました。
考察できるシーン
本作はみなまで語らず、観ている人に解釈をゆだねているシーンがたくさんあります。
思いつく限りあげてみると
1.なぜ市子は万引きした玩具を御礼として渡そうと思ったのか
2.なぜ市子は家庭環境を見られた宗介に身体を許そうとしたのか
3.なぜ市子は月子を殺そうと思ったのか
4.なぜ市子は父親を刺殺したことがバレなかったのか
5.なぜ市子はケーキ屋をやろうと思ったのか
6.なぜ市子は自殺志願者を北の自宅に招いたのか
7.なぜ北が乗っていた車が海に転落したのか(北が死んだのかは不明)
8.なぜ市子は祭りに来ていたのか
9.なぜ市子は長谷川にすべてを話さなかったのか
10.その後、市子は逮捕されたのか
すべて正解があるのか、そうではないのかわかりませんが、そういった部分も含めて思いめぐらすことができるのが「市子」という作品。
見方によっては、市子はすごく怖い人物ではないのかとさえ思えてしまいます。
舞台挨拶・先行上映会@大阪
2023年12月5日にTOHOシネマズなんばでおこなわれた舞台挨拶・先行上映会に行きました。
目の前に、確かにそこに、良く知っている花ちゃんがいました。
「市子」に対する思いを繊細かつ丁寧な言葉で話していたのがとても印象的で、戸田監督との信頼関係も生の現場で感じることができました。
何より戸田監督が奈良の出身であり、「市子」の舞台にもなっている大阪という土地に対する思いが鮮明に伝わってきて、上映前にお話しを聞けて良かったです。
まとめ
市子は何者だったのか・・・関わった人の証言をもとに実像を探しに行く。
その解釈は見た人それぞれで違うと思いますし、それが映画「市子」の魅力だと思います。
市子は日常と非日常が混在するなかで人生を送っており、見ている人との距離感も近くなったり、遠くなったり。
ぜひご自身の目で市子を確かめてほしいと思います。
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